折鶴の歴史
佐々木貞子さんは2歳のときに広島の原爆で被爆し、12歳で急性白血病と診断されました。貞子さんは鶴を1000羽折ると願いが叶うと信じ、夜も眠らず"生きたい’’と願いを込めながら、薬の包みなどで鶴を折り続けたそうです。しかし、9ヶ月の闘病生活の後、お亡くなりになりました。このことをきっかけに、折鶴は病気が治って欲しいという願い、また核反対運動に込められる平和への思いの象徴として表現されるようになりました。その後、’’サダコと千羽鶴’’はさまざまな言語に翻訳、出版され、折鶴の意味を世界に広めていきました。
私たちの祈り
地震と津波は、日本の総面積の3分の1を破壊し、数千人の命を奪いました。私たちは、被災された方々に哀悼の意を表明します。また、福島県原子力発電所の事故が、最悪の事態に発展しない事を心から願っています。折鶴はモンペリエ近郊に住む日本人たちによって、被災者の方々にまた笑顔が戻りますように、と一つ一つ思いを込めて折られています。
ここで集められた義援金は、日本赤十字を通して、東日本大震災における被災地に送られます。
これからも皆様のご理解とご協力をいただけるよう、心からお願いを申し上げます。
Nous commençons avec les grues fermées :
On les repère d'abord :
On attrape les ailes près du corps, à l'endroit où elles sont le plus large :